私がアーティストになるまで

暖かい家庭に生まれ育ち、常識的で優しく強い両親の元、何不自由なく育ちました。小さい頃から絵を描くことが大好きで、画面いっぱいに色を使って虹色の絵を描いていました。長女として、両親の期待に沿おうと一生懸命勉強し、習い事をこなし、、、学校での成績は常に1番、吹奏楽部で全国大会に出場したり、友達たちにも恵まれた少女時代でした。

 

地元の進学校に入学してから異変がありました。突然、呼吸が苦しくなって意識がなくなってしまったり倒れてしまう。病気の始まりでした。

大きな病院に連れて行かれ、大量の薬を飲むことになりました。副作用で体は太って大きくなり、ぱんぱんに浮腫んでしまい、、、おしゃれが大好きな私にとっては醜くなった自分の姿が辛い時期でした。

そんな中、自分の存在価値を何度も疑いました。

「生きる意味とは?」「死って何?」

哲学的な本、占いや美輪明宏さんの本など読み漁りました。

「本当に自分を生きるってどういうことなんだろう?」

 

答えの出ない問いの始まりです。


第一志望でなかったものの大学生になりました。美術に興味のない両親を説得することも出来ず自分に自信もなく美大という選択をしませんでした。「文芸学部芸術学科」という芸術理論を学ぶ大学に進学しました。不登校気味の高校時代を経ていたので、自分が「会社員」になれるとは思っておらず、「イラストレーター」など家で絵を描く仕事が出来たらいいな、と漠然と思っていました。

 

大学時代は映画研究部で8ミリ映画を作ってみたり、当時の新宿伊勢丹にあった美術館でアルバイトしたり、自由に飲み歩いたり、好きな服を着て自由を謳歌していました。

 

そんな中、ふと目に留まった新聞記事。色で自分の本質が分かるという「カラーセラピー」の書籍紹介です。

翌日に同じ記事に目を留めた母が早速その本を購入してきました。上下が違う色の二層になった美しいボトル、「オーラソーマ」カラーセラピーとの出会いでした。時は1997年。

 

毎日毎日その本を読みました。何度選んでも自分に当てはまるカラクリが知りたくて、一週間後にアルバイトで貯めたお金を振り込み「オーラソーマ」レベル1の講座を受けに表参道へ。

あっという間の出来事でした。

1995年にあった「地下鉄サリン事件」の影響で、「瞑想」という言葉がまだタブーであった時代です。

表参道のマンションの一室で開かれた講座はシャネルスーツを身に纏った美しい先生の出迎えで始まりました。

そこからの6日間で、人生がガラリと変わり始めたのです・・・!

 


「ヴィーナスの誕生」B34 私は、私自身です。

 

このオーラソーマのボトルは私の始まりのボトルです。ルネッサンス期のイタリアの画家ボッチチェリの絵「ヴィーナスの誕生」海から貝が割れて中からヴィーナスが出てくる・・・本当の自分の美しさ、優しさ、繊細さ、、、それらに気づき私自身になっていくプロセスが始まりました。

 

両親の期待に沿って生きていく「私」ではなく、本当の私が何をしたいのか、どう生きたら幸せなのか、、、無意識レベルの依存からの独立プロセスがスタートしました。

 

大手企業に就職し、結婚し、子育てし・・・それらを私の魂が望んでいないことをしっかりと意識しました。


変化の始まりです。

2段階のオーラソーマの講座を受けてすぐ「ワイキューブ」という会社でアルバイトを始めました。一時期「学生の入りたい会社ランキング」の上位に上った今はなきベンチャー企業です。

学生なのにアルバイトの面接をこなし、指示を出しTOPとして働きました。半年後、伯父からの誘いで「オペラ」の舞台裏の世界へ足を踏み入れます。

 

怒涛のように働きまくった時代。

東京を離れ松本に一ヶ月半ホテルステイ。夏休み丸々です。小澤征爾さんの「サイトウキネンフェスティバル」で小道具の仕事をしました。幸い吹奏楽をやっていたので楽譜が読める、美術的なことが出来るということで引っ張られましたが、素人です。

右も左も分からず、英語で稽古が進むなか休みもなく朝から晩まで必死で働きました。

汗だくの黒Tシャツ、Gパン、スニーカーのままベッドに倒れ込んだ日も数知れず、、

 

舞台を皆で創っていく大変さ、楽しさに取りつかれ「こんな楽しい世界はない!」とばかりに

結局身体を壊すまで卒業後も働きました。


元々体に不安のあったからこそ、体の限界を越えたいと思ったのでしょうか、、、とにかく無茶くちゃでした。少し時間が出来ると朝10時過ぎまで強いお酒を飲むような、、、ワイルド?!な生活。

 

この頃ファッションデザインの道を探りつつ、夜間でデザイン学校に通い昼間はアルバイト、夜は学校、長い休みは舞台の仕事。

 

寝る暇もなく課題をこなし、それでも「夢と希望」で疲れ知らずでした。

この生活は、20代後半ぱったりと突然動けなくなるまで続きました。


「大天使メタトロン」B100 暗がりに差し込む光  私はすべてをあるがままに見ます。

 

オーラソーマからも、ヒーリングからもすっかり遠ざかった生活を経て自分自身に光を取り戻す時期がやってきました。「裏方」ではなく、自分が「光」として存在したい!大好きな舞台の仕事が出来なくなり、療養する中、突然強烈に「光」を求める欲求がやってきました。

 

オーラソーマのレベル3を受け、セッションを始めることになります。

闇から光へ・・・病気、裏方と深い闇から光の世界へと動き始めました。

 


「ふつうの生活」に戻っていきました。

今まで縁のなかった「会社に勤める生活」

土日にオーラソーマのセッションをしたり、平日のアフター5に買い物を楽しんだり友人たちと食事したり、飲み会したり・・・何でもないことが新鮮で楽しい時間でした。

 

OLの仕事も悪くないな、と思いつつ何処かでもやもやし始めます。

もっと「生きている」実感が欲しい!

私でなければ出来ないことがしたい!

自由になりたい!


2008年、とうとう我慢できなくなった私は走り始めました。30歳を過ぎる頃、、、

「今死んだとして何をしていなかったら後悔するだろう?」

 

その問いにはっきり答えが出ました。

「絵を描いて個展を開催したい!そうしないと死ねない!!」

 

絵を描きたい、それを仕事にしたいと漠然と思っていた20代前半までのふわふわした気持ちとは違い、このときの欲求には抗えませんでした。

 

もうもう、描かないと発表しないと発狂しそうなくらい追い詰められていました。

今までの社会人経験を総動員して、すぐに場所を確保しDMの作成依頼、配布するスケジュール、描く絵のスケジュールなどをあっという間に組み立てました。

やる!と決めたのが8月末。初個展の開催は10月。3ヶ月満たない時間で仕事をしながらやり遂げてしまいました。

 

まるで結婚式の二次会のように、普段なかなか会えない学生時代の同級生や親戚、沢山の友人たちが観に来てくれました。皆におめでとう、素敵だねと言われる喜びに味をしめて、、、その後毎年1回は個展をすることに。

 

ライフスタイルがすこしづつ変わり始めます。個展をやるために仕事をする生活に。

1年で契約が終わる派遣での仕事を選び、多少辛いことや大変なことがあっても「すべて絵を描くため」と

メリハリを持って働けるようになりました。

個展の時期は会社に迷惑をかけないよう注意を払い、何かあっても大丈夫なように普段の人間関係やコミュニケーションをよくするように心がけるようになりました。

 

不安定な派遣の仕事ですぐ次が決まるように、常にスキルアップを目指し今いる会社で出来ることは全て吸収しよう!そういう気持ちで日々を過ごしました。

 


昔から直感が鋭く、人の考えていることが分かってしまったり、目に見えないはずのものが見えている子供でした。

 

オーラソーマのセッションを続けるうちに人のオーラが見えるようになっていました。

時代が「癒し」「スピリチュアル」に向かう中、私もこの能力を使う機会が増えていきました。

 

2011年2月、また体調不良に襲われます。船酔いのような目眩が時間に関係なくやってきたり、心臓が急にバクバクざわざわとして、会社を遅刻したり早退したりしながらいると、3月9日にぴたりと治まりました。その3日後、、、朝、また心臓がザワザワっとしました。普段どおりに身支度を済ませ、出社しようと部屋を出ようとすると、首根っこを誰かに掴まれたような感覚が走りました。

直感的に「あ、今日は家を出てはいけない。」

そう思いました。

午後14時過ぎに、今まで体験したことのない地面がぐるんぐるん回る大きな地震が起きました。

そう東日本大震災です。

この体験を機に「直感に従わないと命を落とす可能性さえあるんだ。」ということを学びました。

 

その後の2011年の記憶がうっすらとしかありません。。。PTSDになり、全く絵が描けない日々が続きました。必死でサバイバルするように生きていた記憶だけ残っています。


東京にこのまま居ても絵が描けない。。そう思いながら時々旅をして紛らわせていました。

12月に札幌に行った際、知人からもらった物件のチラシ。3ヶ月から借りられるマンションは都心の半分以下の家賃ではないですか!

 

半年後2012年の6月に仕事を辞めて、単身札幌へ移住しました。

数人の知人・友人が居たものの全くの単身でしたが、新しい生活へのワクワクととにかく絵を存分に描きたいという気持ちで飛び出しました。

 

北海道は東京のような息苦しさもなく、人も大地も大きく受け止めてくれました。

新鮮な野菜やお肉、魚介類、夏でもさわやかな気候・・・

 

みるみる気持ちも明るくなり、人生を取り戻しました。

東京にいる際は常に表参道で働いていました。

目には見えない東京ならでは、都心ならではのルールや流行、「ねばならない」に知らず知らずに縛られていることにハッキリと気づきました。

 

さぁ!ここからはもっと自分らしく、楽しく生きていこう!

 

そう決めました。

北海道に居る間、洞爺湖や旭川・富良野、函館、あちこちを旅しました。

秋の終わりにずっと狙っていた個展会場にキャンセルが出たことを知り、東京に舞い戻りました。

 

学生の頃から思い描いていた「表参道で個展をする」という夢をとうとう叶えました!


夢の叶え方を身につけてしまいました。

 

その後、グループ展のお誘いや、地方都市主催の芸術祭に出させてもらったり・・・

個人のお宅に飾る絵の依頼、整骨院など体を癒す場所に飾らせてもらうなどなど。

 

幸せなことに、飾る機会を様々いただいています。

 

1回夢を叶えると、次はこうしたいその次は、とどんどん改良してもっとやりたい事が増えていきます。

 

今は海外の人に観てもらうとどう映るんだろう?という興味を持っいたところ、ドイツの展示会への出品依頼があり2016年5月の展示に向けて動きました。

2017年9月現在は来年夏にロンドンで開催されるグループ展のための準備中です。

 

様々な経験を経て学んだこと。。。今後やりたい事。。。

・私だからこそ描ける世界、直感力を活かし美しく優しい世界を描くこと

・原画の持つ力、ヒーリング力をもっとたくさんの方に体感してほしい!

・自分自身の本当の美しさを見失ってしまったときに、疲れてしまった心を

癒すツールの1つとして絵を手にとってほしい。

 

今はそんなことを思いつつ活動しています。

 

私には常に脳裏に観ている、つながっている世界があります。

それは色とりどりの極楽浄土のような美しいアートの神様の世界。

絵を描くときには、この世界の情景をダウンロードしてきています。

 

人間も体と心、そして魂があります。魂は常にこの美しい世界を記憶して生まれ変わって

きているように感じます。懐かしく思っている故郷のような。

懐かしい美しい世界を思い出す、本来の自分自身を見つめるツールとして私の描く絵を

使っていただけたら本当に嬉しく思います。